日本人のためのより良い英語教育を考えるブログ

学校英語や受験英語の学習を更に充実させるためのアイデアを提供します。

学校英語の問題、解決の糸口は?

こんばんは。

前回は、現在の学校英語教育は、生徒に無理な目標を課してしまっているというお話をしました。

単語の読み方と意味を覚え、文法を理解し、文法と単語の知識を使って、英文を読んで意味を理解したり、英作文するだけでも十分、大変なのに、正しい発音で話したり、コミュニケーションまで要求するようになったことが、どうやら、間違いのようです。更に困ったことに、コミュニケーションを重視するあまり、単語の知識や文法の知識を教えることがおろそかになってしまっているという実態があるようです。

 

ただ、もちろんですが、正しい発音を身に着けようと努力したり、コミュニケーションができるように練習したりすることは大事なのは言うまでもありません。しかし、これは学校の英語教育で扱うことは最小限とし、足りない部分は個人の努力に委ねるしかないというのが事実なのです。

 

前回、お話したように、学校の授業で扱えるのは、単語の知識、文法の知識を学び、それを使って英文の意味を理解したり、英作文することが中心です。これをしっかりやっていくことが、本来の学校英語教育の進むべき道なのです。このような学習をしっかりやっていけば、将来、本格的に英語でのコミュニケーションを学習しようと考えている生徒にとっても、決して無駄ではなく、将来に向けての基礎力となっていくはずです。将来、英語を本格的に学習する必要がある生徒だけ、高い目標を目指して努力していけばいいのです。

 

今回はここまでにします。ではまた(^.^)/~~~

 

 

見えてきた現在の学校英語学習の問題

おはようございます。

今回は現在、中学校や高校で行われているいわゆる、学校英語の問題がはっきり分かったので、お話したいと思います。

 

前回は学校で学ぶ英語と生活の中で使う、ツール(道具)としての英語学習は区別するべきだというお話をしました。

 

ここで、分かり易いように、英語学習を自動車運転免許取得に置き換えてみたいと思います。

 

自動車運転免許を取るには実技と学科を学び、一定時間の講習を受けて、試験に合格しなければなりません。

 

英語学習においては学科=教科書での学習、実技=発音や英会話の学習 に置き換えられます。

 

学科も実技も大事な学習で、どちらを欠いても自動車を安全に運転することはできません。これは英語学習についても同じで、英語を生活のツール(道具)として使いこなせるようになるためには教科書の学習も発音や英会話の学習も大事です。

 

しかし、ここで大きな違いがあります。学校での英語学習は教科書の学習が中心であり、発音や会話の練習には十分な時間をかけることができません。実際、外国の方に接して英語を使う場面というのはほとんどなく、ALTとの授業でせいぜい週一回、一時間程度です。学校で学ぶ英語は英単語の日本語訳を覚えたり、英文法を理解して、それを基に日本語訳を考えたり、英作文をしたりすることが学習の中心になっています。

 

これを自動車運転免許教習に置き換えてみると、学科の教科書の学習がほとんどで、実技として車を運転する機会はほとんどないということになります。これでは、十分な運転技能を身に着けることは、到底、不可能なはずです。

 

つまり、ここが日本の学校で行われている英語教育の矛盾です。教科(学科)の学習が中心であるのにも係らず、実技での習熟を求めているのです。これははっきり無理だと言えるでしょう。

 

自動車を公道で安全に運転するためには学科での十分な知識と十分な車の操作練習、そして、実際の公道での十分な運転経験が不可欠です。普通の人でも2年から3年の長い運転経験を経て、一人前のドライバーに成長していくものです。

 

これは英語学習についても同じです。おそらく、ツールとして英語を使いこなすためには少なくとも2、3年、いや、もっと多くの経験と時間が必要かもしれません。

 

現在の学校で行われている英語学習の問題の根源は、ここにあるのだと確信しております。教科の学習が中心であるはずなのに、実技(英会話、ツールとしての英語)の習熟を求めているのです。これは、自動車の学科学習ばかりをやって、「さあ、分かったよね。じゃあ、運転してごらん?上手くできるよね!」と言っているようなものです。それは、はっきり無理と言うものです。生徒も、先生も悲鳴を上げるのが当然なのです。

 

今回はここまでにします。ではまた(^.^)/~~~

 

 

 

学校で学習する英語とコミュニケーション・ツールとしての英語学習を区別しよう

こんばんは。

 

今回は、主に中学、高校で学習する英語と、留学や職場でコミュニケーション・ツールとして使う英語のお話です。

 

この二つは、私が学生だった頃ははっきりと分かれていたように思います。それが、長い年月と共に同じように扱われ、区別がはっきりしなくなっていったように思われます。

 

そこで、この二つがどのよう物なのかを整理してみたいと思います。

 

まず、学校で学習する英語とは、英文法で学んだ知識を基本にして、実際に英文を読んで発音を覚えたり、意味の捉え方を学んだりします。私たちが実際に取り組んできた英語学習法ですね。

 

では、コミュニケーション・ツールとしての英語学習とは何かですが、これは学校で学んだ知識や英文解釈の技術を基に、実際に英語を使って、英米人とコミュニケーションが取れるようになることです。そのためには、ただ単に、英語を理解しているだけでは不十分で、発音を反復練習したり、会話練習をしたりすることが必要です。それには学校で学習する時間の何倍もの時間をかけて熱心に練習を積まなくてはなりません。

 

このように考えてみると、英語を使えるようになるということは、並大抵のことではなく、中学、高校、大学と10年間学んでも、なかなか上達しないと言うのは当然のことなのです。この、並大抵ではないことを、今の学生は無理に要求されているように思えます。

 

ですから、学校で学習する英語に関しては、必ずしも使えるようにならなくても良いのです。英語の読み方を覚え、ある程度、正しく発音することができ、英文法の知識を使って英文の意味が大体、理解することができれば、十分なのだと考えるのが良いように思います。実際に私自身も大学を卒業するころは、コミュニケーション能力などは本当に乏しかったことを覚えています。

 

このように学校を卒業する時点ではコミュニケーション能力が乏しくても、学校で学習する英語の基本が身に着いていれば、生徒たちは将来、必要に応じて熱心に学習し、努力次第では英語でコミュニケーションができるようになるまで成長する可能性十分にあるわけです。

 

学校で学習する英語に関しては、あまり、完成度にこだわらなくても、良いのかもしれまん。

 

今回はここまでにします。

 

ではまた(^.^)/~~~

公教育では英語の基礎・基本を学ぶことを目標にし、理想を目指さなくても良い

こんにちは。

前回、日本の公教育は限界だというお話をしました。

どうも、目指すべきを物を見失ってしまっているようです。

 

私自身も長年、高校で教えてきて、時代と共に移り行く指導観と自分が描く理想の実現の間で、目指すべき目標がぼやけてしまったように思えます。

 

今になって思うことですが、英語教育が目指すべき理想と、公教育での教育目標は一致しなくても良いのではないか、と考えています。・・と言うのは、公教育というのは、あくまで社会人として必要な基礎的な教養を身に着けることが目的だからです。

 

「日本人は中学、高校、大学と10年も英語を勉強しているのに全く話せるようにならない。」

 

私も含め、多くの日本人は、どうも、この言葉に悪い影響を受けてきたように思われます。

 

日本人の英語学習の完成のイメージとして「基本的な英語を聞き、話すことができ、読み、書くことができる」ということが思い浮かびます。

 

しかし、これを実現するには、学校教育だけでは難しく、多くの学習時間が必要になり、本人の熱心な努力が必要になります。

 

であるならば、中学、高校で教える英語は必ずしも完成を目指さななくても良いのではないか、と思うのです。

 

日本の学生の多くは確かに、聞く、話すは、苦手な生徒が多いでしょう。しかし、読む、書くの基本ができていれば、それで良いという考えも十分に賛成できるのです。

 

今となってはツイッターでベテランの先生が言っていたように、公教育で教える英語は、読み書きの基本を中心にした内容にして、聞く、話す はそれ程、重視する必要はないのではないかと私も思います。

 

英語教育の目標は個人で違いがあり、人それぞれです。公教育で身に着けるべき教養はどの人にとっても必要な基礎的なのもので十分なのです。この区別があやふやにならないようにお互いに十分、注意したいものです。

 

ではまた(^.^)/~~~

blog.hatena.ne.jp

日本の公教育は限界!これは英語教育も同じ。

おはようございます。

 

ツイッターでベテランの先生方の意見を聞いていると、その先生の技量に関わらず、学校の英語教育の成功は程遠いものだと感じます。・・と言うのも私が実際に現場で感じてきた通り、学校教育はもはや、英語教育で生徒に教えるべきことを見失っているように思われるからです。

 

私が現場を去った理由もまさにこれで、指導していてつまらなくなったし、自分自身も何が面白くて英語を学んだのか分からなくなったのです。退職してから、原点に帰るつもりで英語を学ぶ意味や楽しさをこのブログで考えてきました。

 

公教育の限界として思うことですが、例えばいかに優秀な教員が教えたとしても、生徒の学習のための基礎知識が不足した場合や生徒の向学心がまるでない状態では、ほとんど効果が期待できないわけで、こういう点を教員の指導力のせいにしていることが上げられます。

 

やる気のない生徒をいかにやる気にさせるかが教員の資質なのだ・・なんて言葉は本当なのでしょうか。これもずいぶんと怪しいものです。教員の指導力ばかりに注目して、生徒の学習意欲、態度と言ったものが全く無視されているわけです。

 

英語を学びたくて仕方ない、先生がいなくても自分で勉強するような熱心な生徒に、優秀な指導者が指導した時にこそ、高い教育効果が得られるのです。

 

人間というものは元来、知識欲の塊です。自分から求めるのが自然なのです。今の生徒は押しつけの教育がいけないのか、こういう自然な欲求が弱くなってしまっているのかもしれません。

 

ただ、学ぶ側の問題が解決されれば、英語という教科を学ぶ意義は古今変わらず、十分あるはずですし、やり方次第では、魅力のあるものにできるはずです。私の現職時代は、正にこれを実現しようと奮闘した20年であると言えます。

 

しかし、熱意のある教員が如何に奮闘しようとも、教科主任が評価しなかったり、校長が全く関心を示さなかったり、酷い場合には批判の対象になったりすることもあるわけでして、こういうところが改善しない限り、日本の公教育は良い方向に向かうことはないだろうと思うのです。

 

今回はここまでです。(^.^)/~~~

 

 

語彙力評価中心の試験問題は中高生の健全な英語力向上にマイナスになっている!

こんにちは。

 

今回は中高生の英語学習の障害になっている大学入試問題のお話です。

 

試験を行うのは良いとして、出題内容と評価方法を考え直してほしいのです。

これは他の教科も同じですが、単語の記憶量を中心に出題したり、一点刻みの点数で評価するというのは学習者に不利益で荷重な負担をかけるため、良くありません。

 

例えば、これは難関校の二次試験では特に顕著ですが、特に記憶しておく必要のない、辞書で調べれば済むような単語まで記憶しているかどうかを試すような出題が中心になっています。これは読解問題にも見られ、読解問題であっても単語を知らなければ解けないような問題が出題されています。

 

この傾向は実用英語検定でも同じです。準2級まではそれ程でもないですが、2級以上になると、相当の語彙の記憶量がないと到底、合格できません。

 

また、これは英語に限ったことではないですが、英語の学力を一点刻みで評価することにも問題があります。

 

例えば、センター試験などで、150点取った生徒と160点取った生徒では、確かに後者の方が点数は高いですが、大きい視野で見れば、英語の学力はほとんど変わりません。

 

これくらいは、誤差の範囲で、もう一度、実施した場合、逆転するかもしれないのです。まして、この10点の差で大学の合否が決まったとしたら、これはあまりに無慈悲と言うものです。(>_<) ・・ですが、これが現実ではないでしょうか。最悪の場合、1点差で不合格ということもありえます。何とも、ひどい話です。

 

作問し評価する側がこのような考えなので、現在の中高生も一点にこだわるような、単語の暗記が中心の面白みのない学習に貴重な時間のほとんどを使うようになっています。

 

このような問題をできるだけ解消するためには、単語の記憶力を試すような出題は最低限に留め、読解力や作文力を試すような問題を中心にしてほしいものです。

 

こうすれば、生徒が単語の記憶学習のためにかける時間を減り、もっとゆとりを持って、読解や作文など、本来、取り組むべき学習に十分な時間をかけることができるようになると思うのです。

 

また、単語を無理に暗記しようとすることは、単調な学習になりがちで、英語嫌いの生徒を生み出す原因になっています。単語は、読解の練習しているうちに自然に覚えられるものです。英文を読みながら、どうしても調べてたい単語だけに印をつけて、読み終わってから調べるようにしてみましょう。この方が無理に暗記するよりも記憶に残り易いものです。

 

二次試験では問題数は少なくてもいいので、本格的な読解問題や英作文を出題して実力を試してほしいと思います。ただ、この場合でも一点で合否が決まるような評価はしないでほしいものです。

 

また、評価については、一点刻みの点数で評価するのではなく、得点をランク付けして、ある程度、得点の幅を持って評価するべきだと思います。

 

例えばセンター試験(共通テスト)ではAランク(160点以上)Bランク(159点~140点)Cランク(139点~120点)というようにランク付けします。評価はある程度柔軟にして、基本的には難関校であっても、Cランク以上で合格条件を満たすというように評価すればいいと思います。

 

単語の学習は確かに基本です。しかし、中高で6年間の限られた時間の中で、覚えられる単語の数には限りがあります。試験では、この語彙数の範囲を超えないようにしながら、読解や英作文を中心に問題を作成し、この範囲内で生徒の学力を測ってほしいものです。

 

今回はここまでにします。

 

ではまた(^.^)/~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中高の英語で学ばせたいこと。その2

こんばんは。

前回は「中高生には読み書きさえ教えておけば、話す聞くなんて後で何とかなる」という意見は、いささか無責任だろうというお話をしました。確かに読み書きが基本ですが、聴く話すを完全に分離してしまうのは良くないと思うのです。

 

まずはリーディングから→基本単語と文法学習

中高生の英語学習の目標としては、まず英文を読めるようになることが第一であることは疑いがないでしょう。それには単語と文法の学習が基本で、不可欠ということになります。

 

ただ、英文を読むための文法というのは、中学生はそれ程、問題はないとして、高校生は複雑で体系的な文法を上手に応用しなければならないので、この辺りは教員の指導力の見せ所になると思います。

 

英文がある程度、自由に読むことができるようになったところで、リスニングやスピーキング、ライティングと学習活動を広げていけばいいのです。

 

効率の良い学習を心がけよう!

英語の学習は「習うより慣れろ」と言われるように、学習時間が長ければ長い程できるようになるものですが、中高生は他の教科の学習もあるので、学習時間にはかなり制約があります。「言葉は音声であるから、とにかく大量に聞くことが大事だ。」というようなことも、よく言われますが、学校で学習する英語と、海外で生活するために学習する英語を混同してはいけません。中高生はやはり、基本的な文法を理解し、よく使われる単語を覚えて、効率的に学習することが大事なのです。

 

今回の内容は、以上です。中高生の皆さん、英語学習、楽しく頑張って下さい。